ものの言いよう
京都では、犬も歩けば神社仏閣に当たるという感覚である。
あまり目的を決めないでただ歩いていて
、フラリと気になった所を訪れるのがサプライズ的で楽しい。
三十三間堂に行こうと思っていたが、閉館がギリギリで、まーしょうがないと急がずに歩いていたら、びっくりするほど大きな楠木に誘われ、訪れたこの神社。
三十三間堂の(まぁまぁ)近くとあって、どちらも後白河院の由緒ある神社だった。
NYに行った時にも、ふらふら街を歩いては思いがけず教会に出会うのがとても楽しかった。
まぁキリストさんもNYではすごいけど、
日本ではブッダさんが幅きかせているね!
こんなに自分の分身を作られるなんて2500年前に考えもしなかっただろう。
さて神社仏閣が大好きなわたし。
おみくじは年に一度ではなく、
神社仏閣に行くたびに引く。
さすがに京都観光中はそれをしていたらおみくじ貧乏になっていまうけど。
昨日、三千院でおみくじを引いた。
なんでも、日本で初めておみくじを作った人の由緒あるおみくじ(もう記憶が曖昧w)であった。
凶だった。
人生二度目の凶。
別名凶寺と呼ばれる浅草寺で見事に凶を引いてからの…凶だった。笑
凶って、書いてること何もかも
悪いからショックだよね。
で、本日はリベンジで、
清水寺で
おみくじを引いた。
番号は「一」だった。
わたしは知っている。
おみくじの一が出て
喜んでは
いけないことを。
大吉なのは「二」なのだ。
(いったい今まで何回おみくじを引いているのだろうw)
だから、清水寺のお店の人に
「いやぁ、一は大吉じゃないんですよねぇ」
と思わず言った。
ところが、いただいたのは
「大吉」だった。
そうか、神社と寺では違うのか。
しょうもないオチだが、
この2つの結果を受けた時の
自分の感情を客観視して面白かったのだ。
大吉、凶という結果に捉われているのはもちろんのこと、
人は悪いことを言われると
結構気にするのだ、と。
(個人差はあると思います)
だから大吉を引いたものの、
普段引くことの
あまりない
凶の結果の方が気にしてしまった。
そして、頭で
「大吉引いだんだからコレはナシ」とか言ってたw
色々気にするんだなーと。
だから、これから
人にもネガティブなことは言わないようにしようと思ったのだ。
何気なく言ったことで、相手の
気を揉ませてしまうかもしれない怖さがある。
自分に悪気がなければ仕方ないんだけどね。
物は言いよう。
話は変わるけど、
最近、SNS上で誰かがやってた心理テストなるものをやってみた。
その中で、こんな質問があった。
A.決断が早い
B.選択肢をなるべく残しておきたい
と。
おおーと思った。
わたしは決断が遅い。
それを欠点だと思っている。
しかし、このBであるんだと思うと
確かにどうなるかわからないことを楽しみたいから、すぐに選択しないところがある。
決断が遅いのではなくて、
選択肢に遊びを持たせているのだ。
こういう考え方を採用したいものだと思った。
相手の欠点に思えることに遭遇した時に、
こうやって良い事に転換できる発想を持ちたい。
0コメント