ヒプノセラピー
過去世への旅をしてきた。
現世に帰ってきてもしばらくぼーっとしていた。
もっと映画のようにハッキリ次々とストーリーが見られるものだと思っていたがそうではなく、夢のような感じだった。
ま、そりゃそうか。わたしの潜在意識が見せてくれているものだから。
つくづく思ったのは、過去生は現在との関係性なしには出てくる必要がないということだった。
わたしたちは多くの(人によって回数は違うだろうけど)輪廻転生を繰り返し、さまざまな経験をしている。
その中でも、その過去生での悔いのような形で今世に引き継がれているものがあって、それをカルマと呼ぶならば、カルマを恐れではなく愛の経験に変えるために追体験しているのだろう。
それは今回のセラピーだけでなく、占いや誰かから言われたことや意味のある出来事などメッセージ性のあるものすべてそうなのだと私は思う。
さて、今回みた過去生はわたしという人生のまさに「今」と直結したものだった。
まさに今の今、わたしの心を占めていること。
今というのは2018年春という時期だけかもしれない。過ぎれば過去になること。
このタイミングでその映像をみたことは、わたしの今回の人生のカルマを愛の方向に(恐れではなく)進むためのものだったのだと思う。
でも過去は過去。
そこに囚われても仕方ない。
過去を理由にするのは簡単だから。
過去を含めた今をあたたかく見守る。
そのうち、過去を含めないで今だけを見たい。
今回の見たのは「理由」が必要だったのだ。
松葉杖のようなものなのかな。
すべて、強くなるためだ。
それにしても、見たストーリーはよくできていた。
現在との辻褄も合っていた。
これをわたしの頭で考えているのだとしたら下手な小説が書けちゃうね。
わたしたちがみる夢もそんなものかもしれないな。
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