見ちょって
わたしは特定の人から良く見られたいと思っているようだ。
そう、全員には好かれなくていいらしい。
むしろ、マニアック路線を狙っている。
ちなみに自分のことなのに「ようだ」とか「らしい」と使うのは、自分の本当の心のことを自分の頭はちっともわかっていないという自覚があるから。
良く見られたいという思いがあるから、嫌われちゃうんじゃないかという不安がセットになることに気がついた。
逆に言えば、嫌われてしまうかもという不安がそもそもあるから、良く見られるようにしようとするのだな。
嫌われてしまうんじゃないか、という思いは過去のものでしかない。
トラウマを大事にしているだけだ。
「あの時と同じに違いない」と防衛本能が働く。
でも、そもそも嫌われた記憶なんて幻想に過ぎない。
過去なんて都合よく変わるしね。
それに嫌われるという行為が発生したということは、それだけその人と関わったということだ。
関わらない人に対して何の感情も覚えないから。
4歳の姪は「見ちょって!見ちょって!(見て!見て!)」とよく言う。
そこには、ただ好きな人に見てもらいたいという純粋な思いしかない。
そう。冒頭で述べた「特定の人」とは、自分が好きな人のことだ。
わたしも好きな人たちに素直に「見ちょって」と言おうと思う。
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